写真を見る機会というのは写真好き、カメラ好きともなれば見ることはある。そのなかでやはり、誰かの写真を見て思うことはある。露出、ボケ、構図など色々なものを無意識のうちに評価している。
評価することは悪くないが、勝手に絡んで自称写真家を名乗り、批判するだけ批判しておいて、当本人はそこまで写真は上手くないというオチというのは度々見かけるんだけど、僕からすれば誰かの写真を批判すること自体を間違っているとしている立場にいる。
誰かを批判したところでなにかを生むわけでもないということもあるんだろうけど、作品の評価を決めるのは作品購入者であって、興味がない人は買わないし金も出さないと思っている。つまりただの嫉妬や知ったかぶりをしたいだけの邪魔な存在なんだと思って活動している。
写真に限らず絵画や陶芸でも知識など見せびらかす人は多くいて、何かしらマウントを撮りたいという残念な人たちはいる。誰かを評価するということは、撮影者や制作者というクリエイターを支援することで成立することであることを大前提としておきたい。もちろん支援しているから、作品批判をしていいわけではない。支援することが既に評価とするべきというのが僕の考え方としている。
SNSで写真批判をしている人など、何か付けて揚げ足取りでもしたいかのように批判する人は何も持っていないから、誰かを落として自分の方が上であるように見せたい人がほとんどである。ネット上であれば誰でも批判や意見、愚痴、不満を書き込んでも実際は問題はないけど、過度に行き過ぎると、それは差別や誹謗中傷となる。人格というものを否定する行為はネット上のあらゆるプラットホームが許している行為ではない。
Xやgoogle、Youtubeなど色々な書き込みができる場所がある。アカウントを作るときに同意しているはずで、誹謗中傷や差別的な発言などはしてはいけないという似た文言が規約上に明記されているはずだ。つまり書き込むというのは責任を伴うことを忘れてはいけないこと。
ではSNSで写真批評は規約違反になるといえば、実際には規約違反にはならならい。しかし写真批評をしたとしても、なんで知らない人に言われなきゃいけないんだ。と思う。そうなればXでいえばブロックされるのは当然のことで、周りに見える状態であれば周りからブロックされても仕方がないのである。
自称写真家というアカウントがずっと誹謗中傷しているけど、顔をさらして誰かにダメ出しをして、どんどんブロックに入れていかれたら、どうなるのか?というところで予測を立てておく必要があるんですが、だいたいの人が賢いので捨てアカウントやサブアカウントを用いて批判したりします。
とある自称写真家はずっと批判しているようですが、今後どう響くのか楽しみにしているところです。