写真論 No.14 触れること知ること。

今まで写真に触れるとしたら、写真集や美術館、フォトコンテストが多かった。紙媒体から電子媒体となり、フイルムからデジタルへと変化していくんだけど、どのような形に変化したとしても、触れること知ることは、写真が上手くなるためには必要なことであることを知っておいてほしい。

有名な写真家の写真を真似るのは練習になるし、自分の作風を生み出すきっかけになる。絵画の世界では何々派というカテゴライズされるけど、これは評価する側が決めた一方的なラベルに過ぎないし、受け入れるかは作品を生み出した本人なんだと思う。

自分の作風というか個性は、どのように確立されていくかは本人が探すことであって、他社が一方的に押し付けるものではない。ただ美術館やフォトコンテスト、雑誌、ネット(SNSなども含む)という写真を見る機会は増えたと思うので、そういう意味では素人やプロ問わず、感性と向き合う場面は多く有る。

じゃあ何で悩んでいるのかと言うと、例えば理想の写真家でもいいんだけど目標となる作品が見つかると思う。しかし目標となる作品と同じベクトルの写真をどのように撮影すれば真似ることができるのかで悩んでしまう。SNSでみた写真をきれいだと思って真似てもなんか違う写真が撮れてしまうのは、ソコにある。

写真加工ソフトの技術や知識、カメラ本体の知識や技術、撮影環境の違いなど、経験を伴うものもあれば覚えれば済むこともあるんだけど、感性以外のところで悩んでいるのではないか。

2人の撮影者がいて、同じ機材、同じ空間、同じ被写体などを用意して全て揃えて撮影して、同じものが撮れるとしよう。しかし少しでも変化を与えた場合、2人とも同じ写真が撮るとは限らない。つまり思考プロセスの部分を与えると一瞬にして別の写真が出来上がり、新しい写真ができる差が感性である。

感性というのは個性であり、その人が持つ視点のことだと思う。僕が撮ればA、あなたが撮ればB、他の方が撮ればCと何か違う写真が撮れてしまう。写真教室といえど機材、設定、視点を全て合わせてしまえば同じ写真ができる。しかし、ここの視点は変化させることで、写真への変化がある。

ABCが撮影したものは同じ被写体だったとしても同じ写真というのを無くすにはそれ以外の部分に変化を加える。

確かに鉄道車両の写真などは同じ構図で撮影することはあるかもしれないが、鉄道を含んだ写真などは同じ構図だけではない。視点を持つことがあれば自然と構図に変化が生まれることもあるし、カラーやモノクロ、レンズやボディ特性を活かした写真の色合い、ボケなども変化を与えることは可能というのは理解しておきたい。

写真撮影において同じものを撮ってしまうことはあるし、逆に視点を変えて新しい場所を見つけてしまうのもひとつの手、新しい手法をと入れたり、本人でしか撮影できないレベルの写真こそが評価されていくものだと僕個人は思っている。

そういう評価されている写真というのは、スマホのカメラ機能からプロのカメラマンまで数え切れないほどの人たちが撮影して、写真文化というものを無意識に継承しているからというのを覚えておこう。

写真を上手くなるということであれば、ぜひ誰かの写真にも触れて、幾多の写真を見て触れて、それ以外の絵画や陶芸などから得るものを大事にしてほしい。

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