写真論 No.11 誰かを撮ってみて。

初めて、何の繋がりも無い、SNSが無ければ繋がりもしなかった女性をポートレートすることになった。Instagramのアイコンが欲しい、ビジネスで使いたいということで、素人ですよ。練習レベルですよという念押しを何度も繰り返して、撮影を行った。

撮って実際、難しいと感じた。写真の色、服装、影。僕好みの写真は撮れても、目的とされている写真を撮るというのはとても難しいというのを感じた。ある意味ではそれだけ被写体を撮らずに生きてきた技術不足を感じた。

機材不足も感じた。三脚やストロボあたりも揃える必要があって、僕としてはこれから被写体を撮っていくなら機材を揃えつつ、知識をつけて、技能を上げるしかないと僕の弱みが見えた。

人間関係もある程度の繋がりさえあればどうにかなるような撮影をしてきた。なにか指定されるわけでもなく、ただ撮りたい。ただ残したいという僕が持っている自然な感情を向き合ってきた。それは僕の感情であって、被写体の感情を無視したものとなる。

つまりポートレートをしていく、モデルになりたいという被写体の気持ちを汲めるだけの技術、機材、知識の余裕を持つ必要がある。ただ撮ればいい。確かに偶然でもいい写真は撮れたし、もう一人女性がいたので女性的な感性を得ることが出来たのはとても素晴らしいものと感じた。

これから続けていくのであれば最低でもストロボぐらいは撮影機材として持ち歩けるようになりたい。ちょっと借金があるので一段落ついたら手を出してもいいかもしれない。

やはり写真を上手くなるには撮るしか無い。撮って課題を洗い出す。改善する。また試す。繰り返しで良くなる。仕事とは違うのだから、もっと色々なことを試してみたい。

知識や技術を身につけるほどの精神的な余裕は今無い。仕事ももうすぐ1年目。中途採用のぜんぜん違う畑を選んで仕事しているので、今学ぶべきことの優先順位はつけておいていい。

まずは仕事しよう。まずは返済してそこからストロボを購入しようと思う。

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